琉球処分廃藩置県以降の沖縄基地問題との戦いの歴史まとめ

現在沖縄の玉城デニー知事が、アメリカを訪問し、普天間基地の辺野古移設反対の民意を伝えるために走り回っています。

沖縄県民のほとんどが辺野古新基地建設に反対し、選挙などでも意思表示をしていますが、他の46都道府県の人たちは、あまり関心がないような人が多い気がします。

基地の沖縄問題は、沖縄だけの問題ではなく日本全体の問題です。

「辺野古が唯一の解決策」なのか、「辺野古に基地は作らせない」なのか、どちらが正しいのかという判断は人それぞれでいいと思うのですが、無関心に今のままでいいやと思ったり、基地のないところで生活しながら、中国脅威論やデマを用いて辺野古反対派を批判する、という人が一定数居て非常に残念です。

当ページでは、46都道府県の方々が、沖縄の問題に関心を持ち、沖縄に寄り添って基地問題を考えてほしいという思いで、廃藩置県琉球処分以降の沖縄基地問題の戦いの歴史をまとめてみました。

以下に表示される目次を年表代わりに見ていただき、そこをクリックしていただけると私なりの説明に飛ぶようになっています。

目次

琉球処分廃藩置県~沖縄戦

1871 廃藩置県

これまで各地に置かれていた「藩」を廃止し、地方統治を中央管下の府と県に統一しました。

1872 琉球藩設置

廃藩置県の際、琉球は鹿児島県に編入されたが分離して琉球藩となりました。

1879 沖縄県設置

琉球が、清との友好を存続させようとしたため、日本政府は武力を用いて王城を占領し、琉球藩を廃して沖縄県としました。

これに伴い琉球王国は滅び、強制的に日本に編入されます。琉球藩設置から沖縄県設置までの一連の流れを琉球処分と言います。

1910 韓国併合

大日本帝国は、この年に朝鮮半島を植民地支配し、日本の統治下におきます。

1945 沖縄戦

琉球処分で日本に強制的に編入された沖縄県は、第二次世界大戦にて、米軍の本土襲撃の防波堤と位置付けられ、女性や子供も巻き込んだ激しい地上戦となり、県民の4人に1人がなくなりました。

県民を助けてくれるはずの日本兵により自決を強要された県民もいました。

激しい戦闘は3か月にわたって続きました。

戦後~日本復帰

1950 朝鮮戦争

日本の植民地支配が終わった後、朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分断されますが、その2国が朝鮮半島の主導権を巡って戦争となります。

北朝鮮を旧ソ連が支援、韓国をアメリカが支援し、実質的には旧ソ連とアメリカの代理戦争であり、決着がつかずに休戦協定が結ばれ、今も朝鮮半島は分断されたままになっています。

1951 サンフランシスコ平和条約

日本と連合各国の平和条約であるサンフランシスコ平和条約が結ばれ、この条約の発効によって日本は日本国として独立を認められます。

しかし、この条約が締結されても、沖縄、奄美、小笠原の主権は回復されず、アメリカの統治下におかれます。

1953 アメリカ海兵隊が岐阜に駐留

朝鮮戦争の勃発により、韓国を支援するアメリカは、韓国の近くに軍需拠点が必要と考え、海兵隊を岐阜に駐留させます。

もともと旧日本軍の飛行場の「キャンプ岐阜」に米軍が駐留することになりますが、住民の激しい反対運動が起きます。

1956 岐阜山梨の米軍基地が宜野湾市普天間に移設

岐阜や山梨に米軍基地がおかれていましたが、米兵による犯罪が後を絶たず、治安面から住民の不満がたまって反対運動が激化したため、当時アメリカの統治下にあった沖縄に移転されました。

それがいま問題になっている宜野湾市の普天間基地です。

参考:沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのかP221~222

1959 宮森小学校米軍機墜落事故

アメリカ統治下にあった沖縄で、米軍機が宮森小学校に墜落するという事故がありました。

操縦していた兵士は脱出して無事でしたが、下にいた小学生11人と、地元の住民6人の尊い命が奪われました。

操縦していた兵士は、自身の命を守るために、未来ある複数の命を犠牲にしましたが、アメリカ側から十分な補償は得られませんでした。

1972 沖縄日本復帰

アメリカ統治下にあった沖縄は、1972年5月15日に、ようやくアメリカの支配から解放され、日本に復帰します。

これによって基地のない平和な沖縄が期待されましたが、その期待は見事に裏切られ、普天間などの米軍基地は残留。

日本政府は岐阜や山梨の反対運動には耳を傾けたのに、沖縄には耳を傾けない現状が今も続いています。

沖縄県民の苦労はまだまだ続きます。

沖縄復帰後~民主党政権崩壊

1995 沖縄米兵少女暴行事件

1995年9月4日、沖縄の米兵3人が、12歳の少女を拉致、暴行されるという痛ましい事件がありましたが、日米地位協定により実行犯3人の身柄が日本側に引き渡すことができませんでした。

この事件により、沖縄県民の反基地感情はますます高くなります。

1997 普天間基地の移設先が辺野古に決定

沖縄米兵少女暴行事件などにより、普天間基地の返還を求める声が高まったこともあり、5~7年の返還を目指し、移設先を名護市の辺野古付近とすることが日本政府によって決められました。

2000 自民党森喜朗幹事長が「沖教祖は共産党が支配している」と発言し、沖縄2紙も侮辱

自民党の森喜朗幹事長が沖縄県民を傷つける発言をします。

天皇在位10周年の式典で、沖縄出身歌手が「君が代」を歌わなかったとして「恐らく学校で教わっていない。沖縄の教職員組合は共産党が支配していて何でも国に反対。琉球新報、沖縄タイムスもそうだ」

引用 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-04/2015070402_02_1.html

上記が発言の全容です。

沖縄タイムス、琉球新報は、沖縄本島の住民のほとんどが購読している新聞であり、その新聞への暴言は、ほぼイコール沖縄への暴言ということもできます。

2004 沖縄国際大学米軍ヘリコプター墜落事件

普天間基地の在日米軍のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落、炎上しました。

幸い死傷者はいませんでしたが、沖縄が基地の危険の隣り合わせであることを印象付ける事件となりました。

2009 衆議院選挙で自民党野党転落、「最低でも県外」公約の鳩山政権誕生

2009年の衆議院選挙では、与党だった自民党が歴史的大敗を喫し野党に転落、大勝した民主党が政権交代を勝ち取りました。

民主党発足とともに、鳩山由紀をさんが総理大臣に就任。

鳩山総理は、沖縄の普天間基地の移設先は「最低でも県外、できれば国外」という公約を掲げ、沖縄県民から期待の声を受けます。

2010 辺野古反対派稲嶺進さんが名護市長選挙当選、就任

普天間移設先とされる辺野古のある名護市での市長選挙が行われ、辺野古移設に反対する稲嶺進さんが、民主党や共産党などの推薦を受けて、基地容認派の現職を破って当選します。

2010 鳩山政権「最低でも県外移設」公約撤回

普天間の移設先として、「最低でも県外」を掲げていた鳩山政権でしたが、ここにきて公約を撤回、沖縄県に謝罪しますが、猛烈な反発を浴びます。

このようになった原因として、辺野古移設を進めたい財務省による偽の情報に騙されたという説もあります。

鳩山由紀夫さんは、「最低でも県外」の公約を果たせなかったことに責任を感じ、今では辺野古移設反対運動などに参加されています。

他の46都道府県では、「沖縄に分断と混乱を持ち込んだルーピー」などとして批判が多いですが、はじめて「県外移設」をかかげた総理として、沖縄では今でも高い評価を得ているようです。

2010 仲井眞弘多さんが辺野古移設反対を掲げ沖縄県知事選挙当選、就任

2010年の沖縄県知事選挙では、自民党などが推薦する仲井眞弘多さんが当選します。

仲井眞さんは「普天間の県外移設」を公約として当選したため、「辺野古が唯一」に切り替わった民主党政権とは相反する形となります。

仲井眞さんは「基地が沖縄に集中しているのがおかしい」と国に対して主張していきます。

2012 衆議院議員選挙で民主党野党転落、「辺野古が唯一」の安倍政権発足

「最低でも県外」などの公約が撤回されたこと、東日本大震災への対応などで批判が集まった民主党政権は、政権の維持が困難となり、衆議院解散。

野党転落前より更に右傾化した自民党が政権を奪還し、安倍政権が発足、今も続いています。

周知のとおり安倍政権は、「辺野古が唯一の解決策」という姿勢です

自民党政権~玉城デニー知事就任

2013.11 沖縄の自民党県連、辺野古移設容認へ転向

中央の自民党は「辺野古が唯一」ですが、もともと沖縄は自民党県連も辺野古移設には反対の立場でした。

しかし、このとき(2018年に那覇市長選挙で負けた翁長政俊さんが政策会長)に、沖縄県連も国に追従する形で辺野古移設容認に転じます。

2013.12 仲井眞弘多知事、県外移設公約を反故にし、国の辺野古埋め立て工事を承認

県外移設を公約に掲げて当選した仲井眞弘多知事でしたが、国から振興金の話などを持ち出され、辺野古移設のための埋め立て工事を承認します。

しかし、県民の「辺野古反対」の民意が変わったわけではありません。

安倍総理は「これでいい正月が迎えられる」と喜びますが、このことで、「裏切者」と批判を浴び、仲井眞知事の沖縄県内での支持率は急落します。

2014.02 辺野古反対派稲嶺進さんが名護市長選挙当選、就任

2月に行われた名護市長選挙で、2010年に辺野古移設反対をかかげて当選した稲嶺進さんが再選を果たし、地元民の辺野古反対はより明確なものとなりました。

2014.11 辺野古反対派の翁長雄志さんが、沖縄県知事選挙で現職を破り当選、就任

仲井眞弘多さんや自民党沖縄県連の県民の裏切りなどから、もと自民党県連で、那覇市の革新市政を終わらせた保守の重鎮である翁長雄志当時那覇市長を、共産党や社民党が推薦するという形で、沖縄県知事選挙に挑みました。

結果は、県民を裏切った現職の仲井眞さんが10万票の大差で敗れ、辺野古移設反対の強い意志を持った翁長雄志知事により県政が始まります。

2014.11 衆議院銀選挙、沖縄の4つの区すべてで基地反対派勝利

2014年11月には、衆議院選挙行われる、日本全体では安倍自民が圧勝でしたが、沖縄では4つの区すべてで辺野古反対の野党系候補が勝利。日本共産党も、沖縄1区で勝利し、現在の選挙制度になって初めて小選挙区での議席を獲得しました。

2015.06 作家の百田尚樹さんが「沖縄の新聞はつぶさなあかん」と発言

自民党の勉強会の講師として呼ばれた、永遠の0などのヒット作で有名な作家の百田尚樹さんが、「沖縄の新聞(琉球新報と沖縄タイムス)はつぶさなあかん」と発言。

マスコミに追求されると、「オフレコで冗談で言った」と開き直り、更に追求を続けるメディアに敵対心をむき出しにし、「あの時は冗談で言ったが今は本気で潰れろと思う。潰れて欲しいのは沖縄二紙、朝日新聞、東京新聞」などと、俗にリベラルと言われるメディアを名指しで批判しました。

さらに、「普天間の基地はもともと田んぼに会って、あとから儲かるから人が住み始めた」といった事実でない情報も交えて沖縄を侮蔑し、多くの沖縄県民を傷つけることとなりました。

琉球新報と沖縄タイムスは、完全なライバル関係の会社ですが、2市が共同で百田発言に対する抗議声明を出しています。

百田尚樹さんは他にも、「基地反対の運動をしているのは〇〇の工作員で怖いなー」などという発言で、沖縄の怒りを買っています。

参考:沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのかP25

2015.12 オール沖縄会議発足

辺野古移設に反対する元沖縄自民党県連や保守系の政治家、企業などから、社民党共産党までが一致団結して「辺野古移設反対」の一転共闘を行う「オール沖縄会議」が発足。

翁長雄志知事がオール沖縄の筆頭となります。

2017.9 衆議院銀選挙、沖縄の4つの区のうち3区で基地反対派勝利

2017年9月に衆議院選挙が行われ、またしても全体では安倍自民の圧勝となります。

一方沖縄では、石垣市などを含む4区で自民党に議席を奪還されますが、残りも3区では議席を維持。

辺野古反対の民意は健在であることが証されました。

2018.02 辺野古反対派稲嶺進さんが名護市長選挙で落選(名護ショック)

2018年2月の名護市長選挙で、辺野古移設反対を公約としていた現職の稲嶺進さんが、まさかの落選を喫します。

事前の世論調査でも、劣勢の報道は全くありませんでしたが、ふたを開けてみると結構な大差での敗北。

「反対しても基地は止まらない」というあきらめムードや、稲嶺進さんに対するデマがまかれたことなどが原因と推測されます。

メディアにとっても、自社の世論調査が外れたことが衝撃的だったようです。

オール沖縄崩壊の始まりかといわれます。

さらに3月の石垣市長選挙、4月の沖縄市長選挙でも自公の候補が勝利。11月の知事選で翁長雄志知事は再選を狙うつもりですが、かなり厳しくなったと言われます。

2018.05 翁長雄志知事すい臓がんを公表

辺野古移設反対の民意を背負い、必死で国と対峙してきた翁長雄志知事が、急遽すい臓がんに患っていることを公表します。

手術や抗がん剤による治療を受けながらも公務を続け、11月の知事選での再選を目指す意思は揺るぐことはありませんでした。

2018.08 翁長雄志知事、すい臓がんで死去(67歳)

しかし、翁長雄志知事の病状は悪化。がんが肝臓にも転移していたようです。

8月8日夕方に、意思疎通も困難な状況と報じられ、ここではじめて知事選挙の出馬断念が報じられます。

そしてそのニュースのわずか数時間後、沖縄のために全力で戦ってきた翁長雄志知事が天国へ旅立ったというニュースが入ります。

67歳の若さでした。

2018.09 辺野古反対派の玉城デニーさんが、沖縄県知事選挙勝利、就任

翁長雄志知事の急逝に伴い、沖縄県知事選挙が9月に前倒しで行われることとなりました。

自公候補は、早い段階で宜野湾市長の佐喜真敦さんの擁立を決めていましたが、翁長雄志さん再選を掲げていたオール沖縄は候補者選びに苦労します。

巷では、糸数慶子さん、那覇の城間幹子市長、名護市長選挙で敗れた稲嶺進さん、中には翁長前知事から県民栄誉賞を受け取った安室奈美恵さんか?なんていう推測もありました。

ところが、翁長前知事が後継者を指名した録音テープが見つかったことで候補者選びは急展開を迎えます。

金秀グループの呉屋守将会長と、自由党幹事長の玉城デニーさんの名前があがり、呉屋さんが固辞したことで、玉城デニーさんの擁立が確定しました。

公明党や維新が佐喜真氏支持、翁長前知事を支援したかりゆしグループが自主投票としたことで、玉城デニー氏が不利かと思われました。

自公は組織による締め付け選挙、客寄せパンダと言われる小泉進次郎氏を沖縄入りさせるなどして、「完璧な勝ちパターン」が完成していました。

しかし、結果は玉城デニーさんの勝利。沖縄県民の辺野古移設反対の民意は強力な組織票すら打ち破ることが証明されました。

オール沖縄は弱体したと叫ばれましたが、辺野古反対の民意は強くなっていたのです

まとめ

当ページでは、上記文献を参考にしています。

廃藩置県琉球処分以降の沖縄の基地問題との戦いの歴史を簡単にまとめてみました。

当ページを読んでいただいて、辺野古移設に反対しろとか、賛成しろとかは思いません。

いろんな意見があっていいと思います。

ただ関心を持ってほしいです。

そして沖縄に寄り添ってほしいと思います。

翁長前知事は、沖縄の民意のために命を縮めてまで戦いました。

一方国は、行政不服審査法を用いて県の埋め立て承認撤回を無効化しました。

それが国の権力によって「ぽちっとな」で握りつぶされてしまっていいのか、沖縄に寄り添って考えてほしいです。

日本中が沖縄に寄り添える雰囲気になるかならないか、そのことは、これから生まれてくる子供たちの生きる日本の未来を、大きく左右することは間違いありません。