物江潤さんという方が書いた著者「ネトウヨとパヨク」が話題になっています。
人が政治的な意見を述べる際、人によって様々な違った考え方があり、我が国では「保守とリベラル」「右翼と左翼」といったグループに大きく分けられています。
それが、インターネットという匿名性のある環境になると、主張は過激になりがちです。
在日特権を許さない市民の会(以下在特会)のような、過激な人種差別を行う団体を強く支持したり、安倍政権を盲信し、反対勢力に対して罵倒を繰り返すネトウヨたち。
そして、ネトウヨのヘイトや差別に抵抗する「パヨク」と呼ばれる人たち。
この、ネトウヨとパヨクの双方が、保守とリベラル、右翼と左翼、と言った人たちと違い、対話が全くできない人たちである、と物江潤さんは指摘しています。
実際のところどうなのでしょうか?
あくまでも個人の見解ですが、私は少し違いように感じています。
その理由を以下に示していきます。
ネトウヨとは?語源や性質は?
当サイトでも度々否定しているのがネトウヨと呼ばれる人たちです。
ネトウヨ、という言葉は、「ネット右翼」を省略した言葉で、ネット上で保守的、右翼的な政治発言を繰り返す人たちのことを指しますが、
ネトウヨたちは、在特会や安倍政権を盲信し、(在特会そのものは安倍政権すらパヨク扱いしています)とにかく韓国や北朝鮮、中国が絡むものを過剰に嫌い、人とは思えないような下品な言葉で罵倒します。
朝鮮学校に対するデマをばらまいたり、は選挙になると野党勢力のデマをばら撒いて選挙妨害を図る、などの行為を行います。
そう言った行為に対し、おかしい、突っ込んでくるも人に対しては、集団で、「反日、売国奴、パヨク、半島へ帰れ」などと意味のない汚い言葉で罵倒し続けます。
ネトウヨという言葉は、主に後述するパヨクと呼ばれる人たちによって否定的な意味で使われる事が多いですが、一水会などの右翼団体や、三島由紀夫などの歴史的に有名な右翼の人たち、真っ当に保守的、右翼的な主張をする人たち、といった、考えは違っても対話や議論ができる人たちに対して、パヨクとされる人たちはネトウヨとは言いません。
したがって、物江潤さんの主張する「ネトウヨは会話ができない」というものは概ね正しいと考えられます。
スポンサーリンクパヨクとは?語源や性質は?
一方で、パヨクと呼ばれる人たちはみんな対話ができない人たちなのでしょうか?
パヨクの語源は、「ぱよぱよちーん 」と「左翼」を組み合わせて言葉とされています。
「ぱよぱよちーん」とは、とある過激な反差別団体のメンバーが別れ際の挨拶に使っていた言葉、とされていていますが、真偽は明らかではありません。
反差別を盾に過激すぎる行動をとる人たちを批判するために産まれた言葉のようですか、今では行動の過激さに関係なく、ふつうに「差別をやめよう、平和を守ろう、今の政権はおかしい」という、ネトウヨと異なる主張をすると、概ねパヨク扱いされてしまいます。
世の中にはパヨクと呼ばれる人たちは100万1000万単位で存在しますので、その中には全く対話にならないような人たちもいます。
また、もともとパヨクという言葉は対話のできない過激な左翼を批判するために生まれた言葉なのかもしれません。
しかし、今では単に「ネトウヨの言動を批判する」だけでパヨク扱いされます。
ネット上などでパヨクと呼ばれている人たちのほとんどは、ただただ普通に、
- 差別は良くない
- 戦争は良くない
- 弱者に優しい政治を
と言った道徳的な主張を、正当な方法で主張しているだけなのです。
ネトウヨなどのあまりにも酷い人種差別発言に対しては、時折強い言葉で批判することもありますが、対話のできる保守、右翼の人たちとは、考え方は違えど、冷静に反論し、罵倒合戦を起こしたりする人は少ないです。
従って、パヨクは対話ができない、というと物江潤さんの主張は、ごく一部のパヨクにしか当てはまらない、と私は考えます。
まとめ
「物江潤が「ネトウヨとパヨク」で述べた「両者は対話ができない」は本当か?」と題し、物江潤さんが著書で示した「ネトウヨとパヨクは対話ができない」という主張について私の考えを示してみました。
- ネトウヨは対話ができない
- パヨクで対話が対話ができないのはごく一部
ということになりますか、恐らくお前がパヨクだからだろー!と
と思われるかも知れません。
ネトウヨから見れば、ネトウヨと考え方が異なる私はパヨクです。
いや、物江さんもネトウヨを批判している時点でネトウヨから見ればパヨクだと思います。
一方パヨク側から見て物江さんさネトウヨか、と言われればそうは思いません。
全ての考えは一致しなくとも、物江さんが考え方の違う人に反日、売国奴、などと罵倒はしませんし、本の中でも冷静に執筆されています。
一度本を手にとって読まれてはいかがでしょうか。